2階のベランダに、15年前の洗濯物が干したままの家がありました。福島県双葉町の駅前です。案内してくれた方が、「駅前のスーパーは去年8月1日に第1号が開きました。第1号って、第2号がないんです」と話していました。震災前に約7,000人が住んでいた町に、今住んでいるのは220人。町の面積の約9割は、今も立ち入りが制限されています。

2026年10月、会社で初めての研修ツアーとして、社員と一緒に福島県の浜通りへ行ってきました。きっかけは今年の夏、社員と話していて、鳥取や兵庫で働くメンバーは誰も現地に行ったことがない、と気づいたことです。震災は、テレビで見た話になっている。それなら実際にどういう場所なのかを自分の目で見て、そこから日々の仕事や暮らしのことを考えてほしいなと思ったんですよね。行ってみると、そこにあったのは災害の跡だけではありませんでした。原発事故で11年から12年のあいだ誰も住めなかった町が、人が住めるようになって3年。ゼロからまちづくりを始めている最中でした。帰ってから思ったのは、これは鳥取の町で担い手が消えたあと、取り戻そうとしたら何が待っているのかを、先に見てきたんじゃないか、ということです。見たのは4つの町の一部で、話を聞けたのは数人なので、その範囲で見えてきたことを書きます。

この記事に書いたこと

  • 人が住めるようになって3年の町で、最初に店を開けた二人の話
  • 町が戻るとき、何が何を待っていて、誰がその膠着を破るのか
  • 先に復興の出口を通った宮城県石巻市の数字と、鳥取の町に当てはめて考えたこと
今回まわった浪江町・双葉町・大熊町・富岡町と、福島第一原発からの距離を示した地図。訪問先6か所の写真付き
今回まわった4つの町と、福島第一原発からの距離。浪江町・双葉町・大熊町・富岡町の訪問先を、原発からの位置で示した。

言い出しっぺが、あり金を全部出して店を開けた

富岡町の夜の森(よのもり)地区は、2.2キロの桜並木で知られた町です。原発事故で帰還困難区域になり、人が住めるようになったのは2023年4月。震災から、ちょうど12年です。ここで米粉のバウムクーヘンの店、BAUM HOUSE YONOMORIを営む遠藤一善(かずよし)さんは、建築士で、富岡町の商工会長でもあります。避難指示が解けると、町で一番最初に戻り、一番最初に商売を始めた人です。

BAUM HOUSE YONOMORI の店内で、遠藤一善さんの話を聞く社員たち
BAUM HOUSE YONOMORI の店内で、遠藤さん(左手前)の話を社員みんなで聞いた。

町が最初につくった特産品は、地元の米でつくった日本酒だったそうです。ただ、どこへ行くにも手土産はその酒で、お酒を飲まない人もいる。地元の米をほかに生かす方法を探して、米粉のバウムクーヘンにたどり着いた。試しに焼いてイベントで売ると、売り切れた。で、ここからなんですよね。商工会で町の菓子店に1軒ずつ声をかけても、「町の外で再開したので戻れない」「人が少ないところでは、生菓子は廃棄ばかり出る」と、誰も引き受けなかった。最後は「言い出しっぺがやるんだよ」となり、建築の会社をすでに再開していた遠藤さんが、新しく菓子の事業を始めることになりました。

話を聞いていて、うまいなと思ったのが店のつくりでした。焼き機は付属品を付けると約1,000万円。焼き方を入れておけばそのとおりに焼けるので、菓子職人がいなくても、研修だけでつくれる。人のいない町で店を続けるために、最初から人に頼りすぎない形を選んでいるんです。建物は、小中学校の同級生の歯科医院だったものを格安で譲ってもらった。それでも、開業費は約7,000万円かかり、「あり金を全部出した」そうです。店を開いた理由を聞くと、「誰かが何かを始めないと、人は来ないだろうということ」。「この店が儲かれば、ほかの人も店を出す」とも話していました。

もう一つ、帰ってからも引っかかっている話があります。被害調査で「半壊」以上と判定された家は、国の費用で解体できました。地震で少し傷んだだけで、本当は壊すような建物ではなかったものもあった。「もったいないから残そう」と言うと、「買ってくれる人や借りてくれる人はいるのか」と聞かれ、「やってみないと分からない」としか答えられなかった。「10年前に戻れたら、ここの人口はたぶん倍以上います」。震災前は約9割に建物があった駅前は、今は空き地が広がっています。富岡町の商工会の会員は建築と土木が多く、商店や飲食店はほとんどないそうです。聞きながら、これ、うちの近くの商工会と同じだなと思っていました。

店を開くことが、そのまま、まちづくりへの参加になっていた

双葉駅前で焙煎所open roastery Alu.を営む深澤諒さんは、秋田市出身の移住者です。奥会津で地域おこし協力隊をしながら焙煎を学び、浜通りで3年間準備をして、2025年2月に店を開きました。

open roastery Alu. の深澤諒さんが画面を使って話し、社員たちが聞いている
open roastery Alu. の深澤さん(右奥)の話を、社員みんなで聞いた。

深澤さんが「今年一番印象に残っている」と話してくれたのは、お盆の出来事でした。15年ぶりにお墓掃除に来た人が、ニュースで店を知って寄ってくれた。コーヒーを淹れる2〜3分の待ち時間に、並んでいた人同士で会話が始まり、聞いてみると15年前のご近所さんだった。避難先は埼玉などに分かれていて、ずっと会っていなかった。「意図してではない」けれど、すごくいい風景だった、と。

深澤さんは「コーヒーは主役じゃなくていい」と言うんですよね。この町の暮らしに欠かせないものではないけれど、あると日々が少し豊かになる。会議の横に置いてあって「おいしい」と思われればいい。面白かったのは、そのあとの話です。双葉町で個人の規模で商売をしているのは、ほぼ深澤さんだけ。だから行政からの相談は、まず深澤さんのところに来る。昼休みに外に出ると、「この道路にベンチをこう置こうと思うが、高さはどうか」と聞かれる。町の復興まちづくり計画の策定にも加わっています。店を開くことが、そのまま、まちづくりに参加することになっているわけです。鳥取の町だったら、役場が最初に相談に行く商店主は誰なんだろう。帰りのバスで、そんなことを考えていました。

町は順番に戻るのではなく、全部が同時に始まって、互いを待っていた

正直に言うと、行く前は、町は家、仕事、学校、店の順にそろっていくものだと思っていました。現地で見て、その見立ては崩れました。順番がはっきりしているのは、最初だけなんですよね。遠藤さんによると、富岡町で最初に再開したのは、解体と片付けをする土木の会社でした。次が、作業員が泊まる旅館。ここまでは、どの町でも同じだと思います。

そのあとは、全部が一度に始まろうとして、互いを待っているように見えました。住まいは仕事を待ち、仕事は働く人を待つ。双葉町にはアパートがなく、移住するには家を建てるしかない状態が続いていました。人が来ないから住まいが建たず、住まいがないから人が来ない。2026年6月に開いたホテルは、従業員の住まいも一緒につくって、この輪を自分で断ち切りました。

学校の話が、今回いちばん見方の変わったところでした。双葉町の小学校と中学校は、事故のあとずっと、車で1時間のいわき市で授業を続けていて、町内に戻るのは2028年4月の予定です。ところが隣の大熊町は、駅前が住めるようになった翌年に「学び舎 ゆめの森」を町内で再開しました。今は100人ほどが通い、約8割は町の外から教育を目当てに移ってきた家族だそうです。子どもがいないから学校を待つのではなく、学校を先に開けて、家族を呼んだわけです。小学校の統合を控えている鳥取の町の人に、この話はしてみたいなと思っています。

店のほうも、見ていると人を待っていないんです。双葉駅前のスーパーが開いたのは、住民が200人ほどのとき。遠藤さんの菓子店は避難指示が解けた4か月後、深澤さんの焙煎所は住民が200人に届く前に開いています。店が人を待つのではなく、店が人を呼ぶ側に回る。最初の一歩を踏み出した人に会ってきたから、そう見えるのかもしれません。それでも、どの町でも「まずやってみる人」が大切だということは、はっきり感じました。

国のお金は去る。建物は残る

ただ、その一歩を支えているのは国のお金だ、ということも、会った人がみんな口にしていました。遠藤さんの店も、新しく事業を始める人への補助が増えて、ようやく機械を買えました。ただ、入ってくるお金の量は、町によってまったく違います。原発の敷地は大熊町のほうがずっと広く、町に入るお金も大熊町のほうが多い。大熊町は駅前を更地にして、30社が入って満室のオフィスビル、ホテル、病院と次々に建てています。双葉町は、個人の小さな商いをどう起業につなげるか、という段階です。車で2〜3分の隣町で、スタートラインの位置が違う。深澤さんは「復興予算が切られるのは、もう目に見えている。その間にどう土台を固めて、根を張るか」と話していました。国の復興予算は、2026年からの5年間が福島に集中していて、その先は細ります。

では、その先に何が待っているのか。帰ってから、先に出口を通った町の数字を調べてみました。宮城県石巻市は、津波の被害が中心で原発事故の避難はなかったため、復興の最初の段階が福島の浜通りより10年早く進みました。石巻市の決算を見ると、市の歳入は震災前の681億円から2015年度に3,309億円まで増え、2024年度には845億円に戻っています。復旧・復興の予算は、1,956億円から2026年度は2.7億円です。

お金が細ったあと、町に残ったのは何か。つくった施設の維持費でした。被災した41市町村のインフラの維持費は、震災前の1.5倍になっています。建てるのは国費、維持するのは自治体のお金。石巻市は予算の方針に「財政の硬直化が常態化」と書き、40年で公共施設の床面積を2割減らす計画を立てています。これ、鳥取の自治体の人なら、同じ計画を自分の町でも持っているのを知っているはずなんですよね。

調べていて、隣の女川町のやり方が気になりました。駅前の商店街シーパルピア女川は、町の土地を30年の定期借地にして、まちづくり会社が建物を持ち、店は賃貸で入る形です。個人が自前で建て直さなくていい仕組みにしてある。遠藤さんや深澤さんのように、個人があり金を出して始める形とは、入口の重さが違います。どちらが正しいという話ではないんですが、最初の一歩の重さを誰が持つのかは、設計で変えられるんだな、と思いました。

鳥取では、逆の順番で消えていく

帰りの車で考えていたのは、鳥取の町だと、これが逆向きに起きるんじゃないか、ということでした。鳥取も、人口が減り、国のお金に支えられている地域です。福島で見たのは、災害を起点に、担い手がいなくなることが一気に、目に見える形で起きた町でした。

鳥取の町では、消えるときに順番があるように思うんです。住む場所、仕事、スーパー、学校と病院、そして楽しみの商い。鳥取の多くの町は、すでに全部そろっています。ただ、担い手が減れば、一つずつ消えていきます。最初に消えるのは、なくても暮らせるが、あると楽しい商いです。次にスーパー、学校、病院。福島の浜通りが、全部を同時に立ち上げようとして苦労しているものを、担い手を失う町は、一つずつ失っていく。そして一度失うと、取り戻すときには、福島と同じ膠着が待っている。住まいも仕事も学校も店も、互いを待って動かなくなる。失う前に手を打つほうが、取り戻すよりずっと軽いんですよね。これは自分の仕事に対しても、そのまま言えることだと思っています。

遠藤さんの「誰かが何かを始めないと、人は来ない」と、深澤さんの「コーヒーは主役じゃなくていい」。この二つは、担い手が減っていく町で、最初の一歩を踏み出す人の言葉として、覚えておこうと思いました。能登の輪島でも、熊本でも、天災を起点に同じことが起きているはずです。町によって、今どの段階にいるかは違う。ただ、最初の一歩を踏み出すのは、いつも一人ひとりの人です。

自分の町で、何がそろうのを待っているか

もし今、自分の町で何かを始めようとして止まっているなら、「何がそろうのを待っているか」を一度書き出してみてほしいんです。人が増えるのを待っているのか、店が戻るのを待っているのか、補助金を待っているのか。それがそろう見込みがないなら、待っている側ではなく、先に始めて呼ぶ側に回るしかない。福島で店を開けた二人は、そちら側でした。

その書き出しを一緒にやるところからなら、話せます。地域で新しい商いを始めたい、町の人と一緒に事業をつくりたいという方は、お問い合わせからご連絡ください。依頼を決めていない段階でも構いません。福島には、また行くつもりです。2日間では、やっぱり詰め込みすぎました(苦笑)。次は一か所ずつ長く時間を取って、今回の見立てがどこまで合っていたかを確かめに行きます。一緒に行きたい方がいれば、それもご連絡ください。こうした話は、毎週のメールマガジン「高林のつぶやき」でも書いています。

地産外商請負人®
株式会社ダブルノット/DX学校豊岡校
代表 髙林 努


株式会社ダブルノット 代表 髙林努

この記事を書いた人

地産外商請負人® 株式会社ダブルノット/DX学校豊岡校 代表 髙林 努

株式会社ダブルノットの髙林努です。鳥取県八頭町と兵庫県豊岡市を拠点に、地域の商品や技術を全国へ届ける「地産外商」の伴走支援をしています。地産外商とは、その土地で生まれたものを、その土地の外へ届けて売る取り組みのことです。中小企業や自治体の事業づくりに並走する仕事をしていて、あわせてDX学校豊岡校の代表として、IT導入診断士の資格で中小企業のIT導入にも並走しています。この記事は、2026年10月に社員と一緒に現地を訪ね、聞いた話を公開されている資料で確かめながら書いています。


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