新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年11月9日、故郷鳥取で人材育成事業の会社を設立しました。そして11月20日には、7名の育成人材を当社社員として雇用し「デジタルマーケティングができるビジネスパーソン」になるために徹底的にビジネスの基礎スキルと実務経験の機会を提供し続けました。まだまだ教えることは山ほどありますが社員の皆さんにとってはこれまで体験したことがない日々の1か月だったのでは?と思います。そして、創業期のドタバタ状態で会社の仕組みが整っていない中、本当によく頑張ってくれました。
さて、ブログ初回は東京で約20年間働いてきた私がなぜ故郷鳥取に戻ろうと思ったのか?そしてなぜ人材育成なのか?について書かせてください。
きっかけは10年前
2008年。ちょうど今から10年前。父が役員として務めていた会社の倒産がきっかけでした。いわゆる親族会社で土木・建築事業を主軸に故郷鳥取ではそれなりに知られていた会社でした。そのころ私は大手企業の課題をデジタルマーケティングで解決するプロデューサーとして、多くの部下を抱え無我夢中で働き、競い合い、絶対に負けないという想いで日々過ごしていました。そのため、鳥取の事も父の会社業績や業界の事も興味関心もなく「倒産する」と聞いたときは愕然としました。そして、故郷鳥取のことを深く考え出したのはここからです。なぜ元気がなくなったのか?を調べたり聞いたりする日々が始まりました。
それから10年。故郷鳥取で働くことを選んだ3つの大きな出会い
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- その1:若い鳥取県応援団での鳥取愛の人々との出会い
https://www.facebook.com/wakaitottorikenouendan/若い鳥取県応援団とは、首都圏在住の鳥取県出身の若者で構成され、首都圏から鳥取県の認知度アップ及びPR活動を行ってる団体です。鳥取県もバックアップしています。もう若者ではないので、今の若者たちにバトンタッチしていますが、郷土愛があるメンバーと共に鳥取について語り合った日々を通し「郷土愛」が生まれてきました。ここで出会った友人とは今でも関係があり情報交換はもちろんの事、ビジネスとしての交流も生まれています。そして、多くの友人が東京での経験を活かし鳥取に戻り、鳥取を元気にするために活躍しています。活躍する友人たちが鳥取で起業することを後押ししてくれたことは間違いないです。
若い鳥取県応援団で出会った友人たちの活躍は別途必ず紹介します。今でも私に勇気や元気をくれる人ばかりです。
- その1:若い鳥取県応援団での鳥取愛の人々との出会い
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- その2:デジタルハリウッドSTUDIO米子との出会い
http://school.dhw.co.jp/school/yonago/人材不足。地方創生を語るうえで必ず出てくる課題です。この課題解決策としてIJUターンや日本版CCRC(生涯活躍のまちづくり)の都市部人材の活用や移民施策まで色々な施策があるが「県内にまだ働きたい人がいるのではないか?」地方創生の仕事にも積極的に関わる中で沸いてきた自分なりの想いでした。
そして、その想いが間違っていなかったと思ったのがデジタルハリウッドSTUDIO米子の受講生、卒業生の皆さんと出会いでした。頑張っている。元気がある。向上心が高い。そのような人がたくさんいました。でもみんな悩んでいる。それを解決することはできないだろうか?昨年1年間をかけて全250名の卒業生のうち30-40人とは話したと思います。その多くの人から出てきた言葉が「忙しいけど稼げない」ということでした。なぜ稼げないか?実際、一緒に仕事をしたり、古いですが飲みニケーションを通して本音で話してみて分かったことが「圧倒的な実務経験不足」と新しいことにチャレンジする事への「漠然とした不安」でした。全国視点で見るとデジタルマーケティング領域の業務経験を積む機会は多くあります。でもそれを知らない。知ろうとしないと言えばそれまでだが、知る術を知らないのは鳥取中心で生活していると仕方ないことかもしれません。これだけ元気もあり向上心がある人材が鳥取に埋もれていることは「もったいない」という言葉しかありませんでした。
安心して実務経験を積み、活躍するビジネスパーソンになる場所を作りたい。そんな今の事業アイデアの原点を発見したのもデジタルハリウッドSTUDIO米子との出会いです。
- その2:デジタルハリウッドSTUDIO米子との出会い
- その3:鳥取銀行との出会い:本気で地方創生に取り組む地銀行員たちとの出会い私が鳥取に戻る上で圧倒的に経験が足りないと思ったことの一つが「金融の仕組み」でした。
ベンチャーキャピタル等から億単位の資金調達で盛り上がるITベンチャー業界で働いたこともありますが、もっと本質的な金融の仕組みをビジネスとして経験したく飛び込んだのが前職の三菱UFJリサーチ&コンサルティングです。前職での経験は私の人生を大きく変え、大きな一歩を踏み出させてくれました。多くの人にご迷惑をおかけしつつも、様々なご支援を頂いたことには本当に感謝しています。(結果、短期間で辞めてしまったことは申し訳ないと思っています。)具体的に人生を大きく変えたのが「鳥取銀行と三菱東京UFJ銀行との地方創生協働プロジェクト」への参画でした。鳥取県が直面する多くの社会課題やビジネス課題について、県内外の産官学そして金の4者がタッグを組んで解決策を導き出す。このプロジェクトへの参画が私の人生を大きく変えました。特に鳥取銀行の皆さんの本気度を日々感じていくうちに、私自身に強まる郷土愛と、大きな課題を一緒に解決していきたいという一体感が増してきました。
そして、現場で一緒にプロジェクトを動かしている若手行員の皆さんとの日々のやり取りこそが鳥取で働くことを決めた最大の理由です。私の波風立てるやり方にもぐっと我慢して(ないかもしれませんが)もらいつつ、心を鬼にすることもあったり、意見が違ってぶつかり合うこともあったり。このようなやり取りをもっとやりたい。これこそが「鳥取をもっと元気にする」源になると確信したためです。
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この3つの大きな出会いに至るまでには、東京での約20年間のビジネス経験があり、多くの皆さまと共に、グローバルビジネスを経験させて頂いたり、日本No1を目指したり、日本経済について考えたり、本当に素晴らしい日々でした。
この経験とネットワークを活かし、鳥取でこれから出会う多くの皆さまと共に「鳥取を元気にする」ために頑張っていきます。
今年で43歳になりますが、場の空気も読まない、すぐに波風立てる高林を、今後ともご支援よろしくお願いします。